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<生田斗真>「自分の居場所がないと思ってた」 前例のない“ジャニーズの俳優”として切り開いてきた道 [<生田斗真>「自分の居場所がないと思ってた」]

<生田斗真>「自分の居場所がないと思ってた」 
前例のない“ジャニーズの俳優”として
切り開いてきた道



<生田斗真>「自分の居場所がないと思ってた」.GIF
「Netflixドキュメンタリー『生田斗真 挑む』」の
キービジュアル(MANTAN)



俳優の生田斗真さんが新作歌舞伎に
挑む姿を追った
「Netflixドキュメンタリー
『生田斗真 挑む』」が、
6月16日から動画配信サービス
「Netflix」で世界に配信される。

生田さんといえば、
「歌って踊る」イメージの強い
ジャニーズタレントでありながら、
役者として活動していく道を
切り開いた“開拓者”の一人とも
言えるだろう。

そんな生田さんだが、
「自分の居場所がないと思ってた」と
葛藤した過去があったという。

芝居の世界に飛び込んだ
きっかけから、現在も
“俳優道”を進み続ける思いを聞いた。


◇「いつか一緒に同じ歌舞伎の舞台に」 
現実となった“あの日の約束”

生田さんが今回挑戦したのは
新作歌舞伎「赤胴鈴之助」。

歌舞伎俳優の尾上松也さんの
自主公演完結作で、
昨年8月に本多劇場
(東京都世田谷区)で上演された。

生田さんと松也さんは高校の同級生で、
学生時代に2人で交わした「いつか
一緒に同じ歌舞伎の舞台に」
という約束を実現させた。

当時から、松也さんや先輩の
中村七之助さんの影響を受け、
歌舞伎を身近に感じていたと
いう生田さん。

20代からは自ら興味を持ち、
日本舞踊の稽古(けいこ)も
してきたが、「自分が歌舞伎の
舞台に立つなんて思っても
みなかった」と話す。

松也さんとの約束も「学生時代の
青春の1ページというか、
『いつかやろうよ』『いいね』
みたいな、本当にちょっとした
会話だったので」
と明かす。

「今回、松也君から声をかけてもらって、
教室の片隅で話したこととか、
いろいろと思い出しましたね。

熱くなるものがありました」
としみじみ。

「舞台が実現しただけではなく、
こうしてドキュメンタリーまで
撮っていただいて、世界に配信されて
……当時からは想像もつかない
くらい大きくなって、
何だか変な感じです(笑い)」
と語った。


◇“仲良しごっこ”に見えないように 
覚悟を決めて稽古、本番へ

生田さんは本作で歌舞伎に初挑戦。
約1カ月半の稽古を経て本番に臨んだ。

「台本を作りながらだったり、
普段僕がやっている演劇の稽古とは
進め方が全然違ったので、
初めはかなり戸惑いました」
と吐露する。


「でも、松也君をはじめとする
共演者やスタッフの方が、
僕のサポートを全部して
くださったんですよ。

皆さんが本当に優しくて、
温室で育てられているかの
ような。

すごく助けられました」

一方で、高校の同級生である
2人が歌舞伎に挑むことは、
ともすれば“仲良しごっこ”にも
見えてしまうと感じていた。

「それでも僕らはその選択をした。

あえて自分たちを追い込んで
いったというか。

うまくいかなければ、
松也君だけでなく、
歌舞伎界にも迷惑がかかる。

いろいろなものを背負いながら
やっていました」
と覚悟をうかがわせた。

本作を経験したことで、
生田さんは「理屈じゃない
高揚感」を覚えたといい、

「三味線や和太鼓の音、
踏み出した足の感覚、
お客さんの拍手が
混ざったときに、

『これが最高のやつじゃん!』って。

自分の血に流れている、
日本の文化へのなじみというか、
フィット感みたいなものが
ありました」
と手応えを得た。


◇ジャニーズ入りも「自分で選んだ道じゃない」 
高校時代に芽生えた自覚

生田さんといえば、舞台、映画、ドラマと
ジャンルにとらわれず活躍し、
「歌って踊る」イメージのジャニーズの中で、
俳優としての独自のポジションを確立している。

親の勧めで11歳で事務所に入った生田さんは、
「最初は仕事という意識もなかったし、
自分で選んだ道じゃないとも思っていました。

ただなんとなく日々が楽しくて、
続けていた感じですね」と振り返る。

しかし、高校に進むと環境が一変。

ジャニーズJr.として同じ土俵で
活動していたメンバーが
デビューするなど、
周囲が“売れていく”姿を
目の当たりにした。

そうした中で、今度は進路に
ついて考える時期になり
「大学に行くのか、
この仕事を続けるのか、
辞めて就職するのか。

選択肢が出てきて初めてちゃんと
しなきゃと思いました」
と打ち明けた。

そして、出会ったのが演劇だった。

「当時の僕には“演劇人”が
とてもかっこよく見えたんです。

仲間と日々ステージに立って、
お客さんたちに『楽しかった』
『明日も頑張ろう』と思ってもらう、
その姿に憧れを持つようになりました」



事務所には舞台作品への意欲を示し、
「どんなジャンル、劇場があって、
どんな役者がいて、自分にとって
何が合うのか。

全く分からなかったので、
とにかくいろいろな舞台を
見に行きました」と、
まずは演劇を知るところから
始めたという。


◇「自分はどこの誰なんだろう」 
異例のポジションに抱えた葛藤

努力のかいもあり、役者としての
道を進むことに成功した生田さん。

しかし、当時のジャニーズでは
俳優業のみでの活動は異例。

葛藤や苦悩もあったという。

「自分の居場所がないと思って
いましたね。

ジャニーズにいても
『俳優だけ』と言われて、
芝居の現場にいても
『ジャニーズの人だよね』
と言われて。

自分はどこの誰なんだろうって」

だがあるとき、
「いっそ『自分はどこにも
カテゴライズできない存在なんだ!』
とポジティブに考えるように
なったんですよね」
と気持ちに変化が。

「せっかく誰もやっていないことを
やっているのに、なんでどこかに
属そうとしてるんだろう、
そっちのほうがかっこいい
じゃんって」
と、自身の強みとして受け入れた。


◇感覚的な選択がもたらした

“今” 

“想像では描ききれない地図”が
モチベーションに

現在も俳優として第一線で
活躍し続ける生田さんだが、

実は「『主演をやりたい』
『賞をとりたい』
と思ったことって
あまりないんですよね」と明かす。

「明確に到達地点を決めて、
そこに向かって地図を描いていくよりも、
行く先々で面白そうだと感じるほうに
歩を進めてきた。

その結果、今の自分があって、
出会ってきた仲間がいると
思っています」

その上で
「すごく感覚的に人生の選択を
してきましたが、だからこそ
計算できない、想像では
描ききれない地図が
勝手にできていく。

それがモチベーションかもしれません」
と語った生田さん。

「毎日バカなことをして笑って、
でも人々を幸せにして過ごしたい」
――“演劇人”に憧れたあの日から、
変わらぬ思いのままの生田さんの
姿があった。



MANTANWEB 6/1(水) 6:05配信

最終更新:6/1(水) 6:05

https://news.yahoo.co.jp/articles/006d23b064baef23c2343025bdfbebac6e3c6625?page=1
https://news.yahoo.co.jp/articles/006d23b064baef23c2343025bdfbebac6e3c6625?page=2
https://news.yahoo.co.jp/articles/006d23b064baef23c2343025bdfbebac6e3c6625?page=3



























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