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温水洋一、芸人扱いされる葛藤を救った「浜田雅功」の言葉 [温水洋一]

温水洋一、芸人扱いされる
葛藤を救った「浜田雅功」の言葉




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「昔、下北沢には、
駅前にもう1店舗
『餃子の王将』があったんです。

25歳のときから、
そこで1年半バイトしてました。

最初に自分で作ったメニューが、
まかない用のニラレバ炒め。

それ以来、王将のニラレバ炒めが
大好きなんです」


そう語るのは、個性派俳優として活躍し、
バラエティ番組でも親しまれている
温水洋一(55)。

松尾スズキが主宰する
劇団「大人計画」草創期の
メンバーとして、
初舞台を踏んだころのことだ。

バイトと演劇。

温水の生活のすべてが、
この街にあった。


「王将って、昔も今も
気軽に入れて、気軽に帰れる(笑)。

そんな自由な感じが好きなんです。

当時の僕には、気楽に深夜入れる
安い店が、ここくらいしか
なかったんですよ。

バイト先でありながら、
客としても終電がなくなってから、
ひとりで食べに行ったり。
大切な場所でした」


今でこそ、コミカルな役から
シリアスな役までこなす役者として
知られる温水だが、広く認知された
きっかけはバラエティ番組。

2000年に明石家さんま主演の舞台
『七人ぐらいの兵士』
(作・生瀬勝久、演出。水田伸生)に
出演したことが、大きな転機
だったという。

「僕が、さんまさんに漫才を
教わるシーンがあって、
そこが大ウケしたんです。

さんまさんも気に入って
くださったみたいで、
公演が進むにつれアドリブが増え、

そのシーンがどんどん
長くなっていく。

最終的には10分くらいに
なっていました。

そして千秋楽の2日後、
急遽『踊る!さんま御殿!!』
(日本テレビ系)に
ゲスト出演することになったんです」

《すんまへん、番組観覧の方は
ご遠慮ください》

ひな壇に座った
“小心な中年男” を、
さんまがいじり倒した。

すまなそうに困惑する姿が
人気を呼び、「ぬっくん」と
呼ばれる愛されキャラを確立した。

ただ、そこには葛藤もあった。

「まだ当時は、役者と芸人が
はっきりと分かれている
時代だったので、
正直しんどかったですし、
苦悩もありました。

下北沢の舞台仲間には、
『舞台人なのに、
なんでバラエティ番組
ばかり出てるんだ』

『好き放題に言われすぎだろ』と、
さんざんに言われました。

当時、
僕が番組に呼ばれるときは
役者でなく、芸人さんの枠。

まったく知らない若手の
芸人さんにまで、
容姿や髪の毛の
ことばかりを
いじられつづけました」

役者として悩む温水のことを、
ダウンタウン・浜田雅功が
目に留めていた。

「『ダウンタウンDX』
(日本テレビ系)に出て
3回めのとき、浜田さんに
『温水はそのままでええんや。

芸人と一緒に
ワイワイやると、
お前が損するで。
役者のままでおれ』
とアドバイスされたんです。

それで、無理に張り切って
前に出ることをやめ、
自然体でいられるようになった」


顔も名前も浸透し、
ドラマや映画の仕事も急激に増えた。


「オファーが増えたのは、
『温水は、番宣でバラエティ
にも出てくれる』みたいな計算が、
配役担当者にあった
のかもしれません。

僕も、映画やドラマのほかに、
番宣の仕事もいただけるので、
正直ありがたかったです(笑)」

数えきれない出演作から、
印象に残る仕事を聞いた。

「2018年に亡くなった江波杏子さんと、
新国立劇場で共演させていただい
た『ご臨終』
(作・モーリス・パニッチ、
演出・ノゾエ征爾、2014年)は
忘れられないですね。

大きな劇場で二人舞台。

江波さんは死を目前にした病人の役で、
ほとんど僕しかしゃべっていない(笑)。

『こんな量の台詞を覚えるのは
無理だろう』と思いながら、
毎日必死で取り組んでいたので、
印象に残っています」

どんな作品でも、
温水は台詞をなるべく
完全に覚えてから、現場に入る。

「僕、家ではまったく台詞を
覚えられないんです。

駒沢公園を何周も
歩きながらだったり、
ガヤガヤしたチェーン店の中
だったりしたほうが、
逆に集中できるんです。


そうやって台本を(頭に)
入れたあと、『餃子の王将』の
ような店に入って、
餃子とニラレバ炒めを頼んで、
お酒をサクッと飲んで早めに帰る。

毎日、そんな感じですね」

芸歴は32年になる。

2017年には、演劇界の権威ある
賞である
「第52回紀伊國屋演劇賞個人賞」を受賞。

2019年には、
「小劇場出身ゆえに敬遠してきた」
という、明治座での大衆演劇にも挑んだ。

下北沢から引っ越してからも、
長い時間がたった。

「下北沢は、僕にとっての
“登竜門” でした。

25歳のとき、僕も早く
『スズナリ』や『本多劇場』の
舞台に立ちたいと思っていました。

懐かしさもあるけど、
今でも、この街の劇場の舞台に
立ちたいと思っています。

いつも存在を意識している
場所ですね」

下積み時代、週に5~6回
働いた店があった街。

優しかった当時の店長は、
お金のなかった温水に、
余った餃子を持たせてくれた。

そんな「餃子の王将」の制服に、
温水は30年ぶりに袖を通した。

「いやあ、懐かしいなあ。
この店にも、ライスを
借りにきたことがあったんです。
本当に懐かしい」


下北沢、ニラレバ炒め、演劇。
すべてを愛した男の笑顔があった。



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25歳当時、「王将」バイトの休憩時間中



ぬくみずよういち

1964年6月19日生まれ 宮崎県出身 
1988年より劇団「大人計画」に
参加し、さまざまな小劇場に出演。

1994年退団。

80本以上の映画に出演するかたわら、
バラエティ番組でも注目を集め、
『ぶらぶらサタデー
・タカトシ温水の路線バスの旅』
(フジテレビ系)は、
放送13年めに突入。

2017年には、舞台『管理人』
(作・ハロルド・ピンター、
演出・森新太郎)で
「第52回紀伊國屋演劇賞個人賞」を受賞

【SHOP DATA/餃子の王将 下北沢店】

・住所/東京都世田谷区代沢5-36-16

・営業時間/11:30~22:00
(20:00~22:00はテイクアウトのみ
)※短縮営業中

・休み/なし

(週刊FLASH 2020年5月12・19日号)




SmartFLASH 5/16(土) 6:32配信

最終更新:5/16(土) 15:41


https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200516-00010001-flash-ent&p=1
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