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中川翔子「3年で消える」と言われて20年 叩かれ続けても芸能界で生き残れたワケ [中川翔子「3年で消える」と言われて20年]

中川翔子「3年で消える」
と言われて20年 
叩かれ続けても芸能界で
生き残れたワケ


中川翔子「3年で消える」と言われて20年.GIF
中川翔子がデビュー20周年の歩みを振り返る
【写真:舛元清香】(Sayaka Masumoto)

写真集「ミラクルミライ」発売中、
デビュー20周年の歩み
「人に言えないような失敗もあった」


8日にデビュー20周年を記念した写真集
「ミラクルミライ」(講談社)を
発売した中川翔子。

20年の歩みには
「人に言えないような失敗もあった」
と振り返るが、ターニングポイント
は何か?
(取材・文=平辻哲也)

デビューから20周年も変わらぬ
笑顔と魅力を放つしょこたん。

ターニングポイントになったのは
ブログを始めたこと。

「しょこたん☆ぶろぐ」は
2004年11月に開設。

今では芸能人ブログは
当たり前だが、当時はあまり
やっている人は少なかった。

「ブログという言葉も一般的では
なかったので、事務所には
『写メ日記やりたいんですけども』
って。

事務所はすぐに『いいよ』。

守られている女優さんだったら、
『危ないから』と止められたと
思うんですけどね(笑)。

逆に感謝しています。

私自身は学校でもうまく
やれなかった。

本当はアニメが好きだった、
ゲーム好きだった、
漫画好きだったけど、
言えなかった。

ブログでそんなことを書いたら、
『私も、です』という人が
たくさん見てくれた。

しかも女子が多くて、
むちゃくちゃうれしかった。

やっと息が吸えたな、
と思いました」

ブログでは、自身の好きなこと、
やってみたいことを素直に
書き連ね、それが共感を呼んだ。

「純粋にこれが好き、
あれが好きって、
いままで言えなかったことを
全部書いたら、
言霊(ことだま)が電子の海を
飛んで行き、夢として
全部かなった」。

ブログ開設の2年後の2006年には
歌手デビューし、第3弾シングル
「空色デイズ」はテレビ東京系
アニメ「天元突破グレンラガン」の
テーマソングにもなった。

「憧れていたアニソンを
歌える人になれた。

歌があったから、
20年続けられたと思うんです。

『バラエティーだけだったら、
3年で消える』って言われたけど、

自分でも
『そう思う。でも、悔しいな』と
いう思いが原動力になって、
色々なことに全力を注いできました。

その結果、海外でライブが
できたり、ポケモンや
ディズニーの声優も務めることが
できました」。

テレビ東京で放送されている
ポケモン番組に16年間も
出演し続けている。

「最初は戦隊もののヒーローに
なりたかったんです。

オーディションを受けまくったのに、
落ちてしまって、その翌年に裏で
放送しているポケモン番組への
出演が決まりました。

最近、20代後半の方からは
『ちっちゃい頃からポケモンの
番組で見ていました』って
めちゃめちゃ言ってもらえます。

子どもの頃に出会った
好きなことが一番の
原動力だと思ってから、

それが子どもたちの一部に
なればいいと思っていたけど、

届いているか分からないまま
やっていたので、

『本当に届いていたんだ』と
感動することが多いんです」。


「オタク」という言葉をポジティブに変換
「褒め言葉だし、硬派だ」


中川翔子「3年で消える」と言われて20年-1.GIF
中川翔子がデビュー20周年の歩みを振り返る
【写真:舛元清香】(Sayaka Masumoto)

その後、ディズニーアニメ
「塔の上のラプンツェル」
(2010年)ではヒロイン、
ラプンツェルの声を担当した。

「根本的にはブログを始めた時と
好きなことって変わってないと
思うんです。

今は、女優のお仕事、
最近はオリパラや万博の
キャラクターの
選考委員なども
やっていますが、
ブログに残した言葉たちが、
ずっと息している
感じがあります。

実は最初、
呪いの言葉を書こうと
思っていた。

チクショウって。

でも、指が止まった。
それが言霊として
発動していたら、
最悪になっていたと
思います」。

当時、暗いイメージだった
「オタク」という言葉を
ポジティブに変換したのは、
しょこたんだろう。

「(サブカルの中心地)
中野ブロードウェイの近くに
生まれて、助けられたから、

リスペクトしかなかったん
ですね。

『ファンロード』という
雑誌があって、そこには、
めちゃくちゃ開き直った
硬派なオタクの人が
イラストを載せていた。

オタクって、褒め言葉だし、
硬派だ、と思っていた」。

中には心無いバッシングもあった。

「半年ぐらい叩かれ続けて、
本当にやめたいなってなった
ことはあります。

そんな時、お尻の骨を
折ってしまって、

これって、
『もうやめろ』って
ことかなって思ったり。

でも、見てくれる人がいる、
仕事のオファーを
くださる方がいる。

分かってくれる人は
いるんだと思うと、
傷ついた以上に、
生きててよかったと
思うことができました。

YouTubeもやっていなかったら、
コロナ禍で消えていたと
思うんです」。

憧れの存在は松田聖子だ。

「ずっと大好きで憧れの方です。

聖子さんは本当に美しく、
ずっと変わらずにスタイルも
キープされていて、
深みがあって、
みんなが求める
聖子ちゃんモードでも
いてくれる。

それって、
とんでもない努力が
あると思う。
私は昭和のアイドルに
憧れますけども、
昭和にはSNSがなかったので、
私だったらデビュー
できなかったと思います。
今でよかったな、と思いますね」。

松田聖子が聖子ちゃんと
呼ばれるように、子どもたちから
「しょこたん」と呼ばれる
存在でありたい、という。


□中川翔子(なかがわ・しょうこ)
1985年生まれ、東京都出身。

2002年に「ミスマガジン 2002]
ミス週刊少年マガジンに選ばれ
芸能界デビュー。

歌手・タレント・声優
・イラストレーターなど、
活動は多岐に渡り、
多数のバラエティー
番組にも出演中。

近年では女優としても
活動の幅を広げており、

多くのドラマ・舞台にも出演。

歌手としての活動も精力的に行い、

22年3月には映画
「しまじろうと キラキラ
おうこくの おうじさま」」
の主題歌
「君のまんまが いいんだよ」を
リリース。

20年より開設したYouTubeチャンネル
「中川翔子の『ヲ』」は登録者
87万人を超える。




中川翔子「3年で消える」と言われて20年-2.GIF
「情熱的」「わがままボディ―」と
ファンを興奮させた中川翔子の赤ビキニ姿



平辻哲也



ENCOUNT 6/18(土) 16:10配信

最終更新:6/18(土) 19:58

https://news.yahoo.co.jp/articles/24484a31695b148a33d34c9a2487c15f99d623a0?page=1
https://news.yahoo.co.jp/articles/24484a31695b148a33d34c9a2487c15f99d623a0?page=2



























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