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はなわ、『佐賀県』自虐ネタへの“懺悔”「売れるために嘘も歌っていた」 [はなわ、『佐賀県』自虐ネタへの“懺悔”]

はなわ、『佐賀県』自虐ネタへの“懺悔”
「売れるために嘘も歌っていた」


はなわ、『佐賀県』自虐ネタ.GIF
2003年「佐賀県」がヒットし、紅白出場も果たしたはなわ
(C)oricon ME inc.(オリコン)


ベースを弾きながら歌う芸風で注目を浴び、
『エンタの神様』(日本テレビ系)などで
活躍していたはなわ。

当時、
「子どもたちは歩きなのにヘルメット」

「バス停の名前が“山下さん家前”」
といった誇張した自虐的な歌詞に、
佐賀県民から少なからず批判の声も
あった。

実ははなわの出生地は埼玉県で、
当時は佐賀への地元愛はあまりなく、
批判も全く気にしていなかったが、
年々感謝と懺悔の気持ちが
生まれているという。

2011年に佐賀県にUターン、
今夏コロナの影響で再び関東に
移住した彼に、現在の佐賀県
への思いを聞いた。


■ストレスで円形脱毛症に…
必死で生み出した“田舎キャラ”を
拾ってくれたのは福山雅治

小学生の頃から佐賀県で育ったはなわは、
幼い頃から人と違うことをするのが
好きだった。

特にお笑いにこだわりがあった
わけではないが、テレビに出たい、
有名人になりたい、との思いで
芸人を目指し、高校卒業とともに
上京した。

「お笑いの世界は想像以上に
厳しいところでしたが、
根拠のない自信だけは不思議とあって。

例えば左利きであることや、
はなわという珍しい名前とか、
とにかく自分は特別な人間だと
本気で思っていたんですよね。

当時は佐賀で芸人を目指す人なんて
いなかったですし、東京なんて
佐賀県人からしたらニューヨークに
行くぐらいの感覚ですよ(笑)。

そういう、人がやらないことを
しているからこそ、
“自分には何かあるはず”と
思えていたんでしょうね」

根拠のない自信だけを頼りに、
独自の表現スタイルを貫きながら
ショーパブなどでネタを披露しつつ、
細々芸人生活を送っていた。

そんな状況の中、結婚して子どもを
授かったはなわは、父親としての
責任感から、初めて“芸人を
辞めたほうがいいのかもしれない”
との考えがよぎった。

「家族を養わなければいけないので、
このままじゃいけない、
なんとかしなきゃみたいな焦りを
感じていましたね。

どうやったら売れるんだろうと
日々模索していましたし、
円形脱毛症にもなったりして(笑)。

まだその頃はお笑い氷河期で、
お笑いライブで1位をとっても、
ネタを披露できるような
番組がなかったんです。

あの頃は本当にキツかったですよ」

お笑い芸人は
「背が小さい」

「太っている」など
コンプレックスが武器となり、
キャラを印象づける役割を
果たすことも多い。

そういった外見の個性がないことに
悩んでいた彼は、出身地である
佐賀について周りから
いじられたことをきっかけに、

“田舎キャラ”

“田舎ネタ”

を思いつく。

「先輩とかから
『佐賀ってどんなところ?』とか

『佐賀ってコンビニあるの?』
なんて聞かれて、
“もしかしたらこれが俺の個性に
なるんじゃないかな”と
思い始めたんです。

最初は佐賀弁でコントを
やったりしたんですけど、
とあることがきっかけで
事務所の社長がベース
買ってくれて。

“これは使えるな”と
思いましたね(笑)。

それでベースを弾きながら
“佐賀あるある”のネタを
やり始めたら、
どんどんウケちゃって。

ちょうどその頃から放送開始した
NHKの『爆笑オンエアバトル』と
いう番組に出たことがきっかけで
話題になって、

『エンタの神様』に
出るようにもなって、
あれよあれよと忙しく
なっていったんです。

さらに福山雅治さんが
ラジオで「佐賀県」を推して
くれるなんていう強力な
バックアップもあって、
本当に運に恵まれていましたね」


■「批判があった方が尖ってて
良いと思っていた」その裏で、
両親が佐賀県知事に土下座していた

突如、借金生活から人生が一変し、
歌いすぎて出なくなった声を
治すために首に注射を打った
こともあった。

「過酷なスケジュールすぎて
人気者になったことを
喜ぶ暇もなかった」と
当時を振り返りながら、
真っすぐな瞳で話を続けた。

「急に売れてどんどん消費されて
一発屋になってしまう人もいますが、
僕はそこは特に意識して
なかったですね。

むしろ売れるなら、
一発屋でもなんでも
いいんじゃないかとも
思っていました。

だって一発屋でも十分すごいし、
なかなかなれるものでは
ないですよね」

ネタ番組ブームのみならず、
「佐賀県」(2003)の
CDデビューで大ブレイクを
果たしたが、一方で、
自虐的な歌詞に対して、
地元民から批判の声が
寄せられたこともあった。

「とにかく売れるために、
批判されることは全く意識せずに
やっていましたし、
必死でネタ作っていました。

「佐賀県」を歌い始めた当初は、
ライブではウケてたけど、
まさかCDになって売れると
思ってなかったというのもあります。

あとで知ったのですが、
うちの両親が県知事に
土下座したこともあったそうで…。

よく考えたら“田舎あるある”を
“佐賀あるある”にして
嘘も交えて歌っていたので、

『佐賀はこんなんじゃねーよ!』と
言っていた人の気持ちが今なら
わかるんです。

だけど、当時の僕はあまり気に
してなかったというか、
批判的な声があった方が
尖ってて良いじゃんぐらいに
思っていたんですよね」


■「なんてことをしてしまったんだ…」
20年の時を経て芽生えた地元愛と自戒の念


『エンタの神様』終了後は、
サウンドプロデューサーとしても
60曲以上もの楽曲制作に携わるなど、
新たな才能を開花。

2011年には子育てのために
佐賀にUターン移住し、
仕事で東京と佐賀を行ったり
来たりの生活をスタートさせた。

「最初は子育てのために帰ったんですけど、
ここ数年で改めて佐賀の良さに
気付きました。

例えば、焼き物やお米、
野菜など物作りに対する
こだわりがすごくて、
世界的な賞もたくさんとっているのに、

“当たり前のことをやっているだけ”
という意識を当たり前に持っている人が
多いんです。

そういう美学を持って
生きているところが
佐賀県民の粋なところですよね。

あと自然も多いし食べ物も美味しいし、
知れば知るほど良いところだなと
思います。

だからこそ、自虐的なことを
歌っていた当時の自分に対して
『なんてことをしてしまったんだ…』
と申し訳ない気持ちにもなって…。

いまの僕があるのは佐賀の
おかげですし、今後どういう形で
佐賀に恩返しをしていこうかと
いうことを常に考えています」

2017年には実話を元にした
楽曲「お義父さん」が泣けると
話題になり、
レコード大賞企画賞を受賞。

また、同年にはベストファーザー賞も
受賞している。

2019年には大ヒット
映画『翔んで埼玉』の主題歌
「埼玉県のうた」も手がけた。

そして同年12月、
YouTube『はなわチャンネル』を開設。

佐賀県で子育てをするありのままの
日常やおすすめの飲食店なども
度々紹介してきた。

「“人を元気にすること”ならなんでも
やりたいですし、逆にそうじゃなければ
やらないと決めています。

『はなわは何屋なんだ?』と
言われたいですし、これからも
肩書きにこだわらず色んなことに
チャレンジしようと決めています。

芸人としては、昔から賞レースには
興味がないですし、マイペースに
人と違うことをやり続けるだけと
いうか。

もちろん、弟をはじめ、
そういったところで勝負している方は
凄いなと思いますし、

チャンピオンを目指してお笑いを
やっている人達のことを
大尊敬しています。

ただ、僕はみんなが目指すような
エベレストよりも、誰も知らない
そこらへんの山の頂上に
立ち続けていたいんですよね。

その気持ちは今後も
変わらないと思います」

はなわ、『佐賀県』自虐ネタ-1.GIF
はなわの家族ショット



はなわ、『佐賀県』自虐ネタ-2.GIF
CD「お義父さん」を発売することが決まったはなわ

]

(取材・文=奥村百恵)



オリコン 11/26(金) 8:40配信

最終更新:11/26(金) 11:40


https://news.yahoo.co.jp/articles/b50d829fb9530d7cd39473e60c593acb0890cd61?page=1
https://news.yahoo.co.jp/articles/b50d829fb9530d7cd39473e60c593acb0890cd61?page=2
























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