SSブログ

<独占告白>小出恵介「覚悟を決めて、再出発」 [独占告白 小出恵介]

<独占告白>小出恵介
「覚悟を決めて、再出発」



<独占告白>小出恵介.GIF
「つらくて何度か逃げようと思いましたけど、
ここから逃げてしまったら僕はもう一生、
芸能界には戻れない。そう思って
踏みとどまりました。」(撮影:本社写真部)




3年前にスキャンダルが発覚し、
公の場から姿を消していた
俳優の小出恵介さん。

先日、3年ぶりに芸能界に
復帰することが報じられると、
大きな話題に。

いったい彼の身に何が起こり、
どこで何をして暮らしていたのか。


現在発売中の『婦人公論』
2020年10月13日号で、
これまでの経緯と現在の心境を
ジャーナリストの中村竜太郎氏に
赤裸々に語っている。

その中の一部を公開する
(構成=中村竜太郎 撮影=本社写真部)


* * * * * * *


◆逃げたら芸能界には一生、戻れない

中村 仕事もすべて失いましたし、
小出さんにとっては長い3年間でしたね。
公の場から姿を消した期間は、
どんな生活をしていましたか。


小出 しばらくの間は、東京の自宅から
離れた場所で過ごしていました。

誰とも連絡を取らず、人目に触れないよう、
息を潜めて生活していました。

買い物にも出られないため、
母親が来て身の回りの世話を
してくれたのですが、
僕よりも母が憔悴していく。

そばで見ていてつらかったです。


中村 報道はチェックしていましたか?

小出 テレビは見ましたけど、
ネットで調べることはしませんでした。

世間にどんどん間違った情報が
広がっていくけれど、自分の口から
説明ができないので、
悶々とした気持ちのままでした。

いったん横浜の実家に移り、
それから8月に、東京から
遠く離れた地域にある施設に
滞在しました。

そこで施設長の説教を毎日聞き、
一緒にご飯を食べて家事や畑仕事を
するという生活です。

三食お粥みたいな質素な暮らしで、
夏なのに冷房がなくて、
暑くて眠れないのがきつかったです。

生まれて初めて見たボットン便所を
毎日せっせと掃除したり、
朝5時からママチャリで40分かけて
とあるお寺に通い、庭掃除の手伝いも
していました。

お小遣いは1日に500円もらえたんで、
どうしてもお腹が空いたときは、
近所のスーパーでソーセージを
買ったりして。

約4ヵ月、そこで生活していました。


中村 自分はスター俳優だったのに、
とか思いませんでしたか。

小出 先の見えない不安はありましたが、
無心にならざるをえないというか、
とにかくいまを一所懸命生
きようという気持ちでした。

つらくて何度か逃げようと
思いましたけど、ここから逃げて
しまったら僕はもう一生、
芸能界には戻れない。

そう思って踏みとどまりました。

正直、精神の拠り所は
それしかなかったです。

地域の人たちは優しく見守って
くれているんですけど、
僕自身が人の目を気にして
しまっていて、精神的に
自分を追い込む一方でした。

げっそり痩せましたし、
心も体もどん底の状態です。


中村 普通、耐えられませんよ。

小出 ある日、やつれた僕の様子を
見たお寺の住職さんが声をかけてくれて、
冷房の効いた部屋で栄養ドリンクを
くださったんですね。

するとてきめんに頭が回りはじめた(笑)。

そこで何を考えたかというと、
この苦しい生活に耐えられたら
なんでもできる、俺はすごい俳優に
なれるんじゃないかということ。

ボットン便所を磨いたことだって、
いつかその経験が演技に役立つ
だろうと思いました。


中村 ポジティブですね。

小出 そう考えないと自分が
持たなかったのかもしれません。

どういうふうに受け取って
いただけるかわからないですけど、
どこかものすごく冷静な自分がいて、
これは全部エピソードになるし、
役者としての血肉になるん
じゃないかと思っていました。



◆なんとか人生がつながった


中村 俳優をやめて別の人生を
歩もうという考えは、
頭をよぎりませんでしたか。

小出 俳優をやめるという
気持ちはなかったです。

ただ自分が置かれた状況をみると、
めちゃくちゃしんどかった。

14年間の俳優人生のなかでも地獄です。
何があろうと頑張るぞという
気持ちはあるんですけど、
ふとした隙間にそんな気持ちを
挫くような何かが忍び寄るんです。

大阪での取り調べでホテルに滞在中、
たまたま窓が開いていて、
ここからぱっと飛び降りたら
すべて楽になるんじゃないかとか、
そんなふうに思ったこともあって。

もちろんそれは一瞬ですけど。
そのときはもう本当に
つらくてつらくて、
いくら反省しても足りないような
気がして、全員から責められて
いるような感覚でした。

ひとりで抱え込んでいましたから。

とはいえ何度も言うようですけど、
自分が引き起こしたことだから
当然責任はありますし、
今も反省し続けています。


中村 涙することはありませんでしたか。


小出 騒動後、追い詰められている
最中にはあまりにも憔悴しすぎて、
そんな余裕もないというか、
茫然自失の状態に陥っていました。

最初に涙が出たのは、2017年の12月に
不起訴が決まった時です。

共同通信のニュースで知りました。

それまでいろいろと悔しい
思いもありましたし、
悲観的になるというよりも、
ぐっとこらえていましたから、
張り詰めていたものが
緩んだのでしょうね。


中村 17歳の少女をバーなどへ
連れ回したとして、大阪府の条例違反で
大阪地検に書類送検された件ですね。
不起訴と知って、どういう気持ちでしたか。


小出 これでなんとか俺の人生は
つながったんじゃないか、と……。


中村 その時、ご両親とはどんな
お話をされましたか。

小出 両親とはあまり会ってなかったですね。
向こうもナーバスになっていて、
僕自身も何か、気軽には接する
ことができなかった記憶があります。

僕のことを信じてないわけではないけど、
世間や事務所に大変な迷惑をかけて
しまった、という認識を持っていたのでは
ないかと思います。


中村 芸能界で成功された息子さんが、
こういう形で注目されるとは
思ってもいなかったでしょうね。

小出 そのギャップを受け止めることは
つらい作業だったかもしれません。

そんなふうに思わせてしまったことが、
息子として非常に心苦しかったです。


中村 本来ならば支え合えるような
友人とも関係を遮断されているなかで、
何が支えでしたか。

小出 すべて清算したら、
アメリカに行って、
一度ゼロから自分と向き合い、
学び直そうという気持ちは
どこかにあったと思います。

それに思いを馳せることが、
もしかして救いになって
いたのかもしれない。

* * *

――本誌では、仕事を失うことに
なった3年前のできごと、NYでの生活、
そして深い反省と復帰に向けた
覚悟を語っている。

独占告白が掲載中の10月13日号の
購入はこちら

(構成=中村竜太郎)

小出恵介



婦人公論.jp 9/30(水) 12:31配信

最終更新:9/30(水) 14:33



https://news.yahoo.co.jp/articles/5b593dc2d9cad1d1c49fa59eedf46253f3641601?page=1
https://news.yahoo.co.jp/articles/5b593dc2d9cad1d1c49fa59eedf46253f3641601?page=2













nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。